開国の地 横須賀市久里浜 ペリー海岸

横須賀市久里浜にあるペリー海岸は黒船来航の地として知られています。近くにある浦賀と混同されることが多いのですが、上陸したのは久里浜です。ペリー提督率いる黒船艦隊はまず浦賀にやってきて、上陸と親書の受け渡しは久里浜で行われてました。なぜ最初に浦賀なのかと言うと、ペリー提督らの持つ海図には浦賀しか記載がなかった。これだけです。私の見識が間違っていないか横須賀市に問い合わせをしたこともありますので、この認識で良いと思います。

では、まずは黒船来航の歴史から。久里浜海岸を語るのにこれは外せません。上陸記念碑を紹介したあとは花火大会のペリー祭、金谷行きフェリー乗り場にもふれていきます。

黒船がやってきた

1853年7月14日。横須賀市浦賀に米国海軍のマシュー・ペリー提督が4隻の黒船を率いて日本に開国を迫りにやってきました。

米国の目的としては二国間の貿易、大陸との貿易にあたっての燃料等補給地の確保、捕鯨船の遭難者の保護。とにかく日本の港を使いたかったんですね。これはペリー提督が持ってきた当時のフィルモア米国大統領からの親書に書かれています。

上陸、親書の受け渡しは久里浜で行われました。

久里浜海岸写真です。ここに黒船艦隊がやってきた時、当時の人々はさぞ驚いたでしょう…しかし、好奇心から小舟を出し近くまで寄ってみたり、船員に話しかけたりする人もたくさんいたそうです。

最初の来航から次の年である1854年、不平等条約と名高い日米和親条約が結ばれ日本は函館と下田の港を開放する事になりました。

上陸記念碑とペリー記念館

久里浜海岸の向かいにはペリー公園が、その敷地内には上陸記念碑があります。1900年に黒船艦隊の一員だった退役軍人ビィアズリー氏が来日した際、ペリーの上陸を記念するものがないのは残念だと演説したことから1901年に建てられました。実は第二次世界大戦中に日本人たちの手によって一度倒されています(終戦後に復元)。

真ん中には「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」、その左には「大勲位侯爵伊藤博文書」と記されています。この石碑の文字は初代総理の伊藤博文のものなんですね。右奥の建物はペリー記念館。音声とジオラマで上陸時の再現をしていたり当時の資料も展示されています。いつも空いていて入館は無料なので、気軽に入れる。休館日は月曜日。

久里浜海岸では毎年7月の第2土曜日に久里浜ペリー祭という花火大会が開催されます。夜店の数が多い事で知られていて、海岸前の道路両側にずらっと並びます。花火を見る場所は海岸か有料席。有料席を利用した事がないのでそちらは分かりませんが、海岸は混むのでシート等で場所取りをしてから夜店を見に行きましょう。

海岸はカインズホーム側から混んでいき、開国橋に近づくにつれてまばらになってくるので場所取りに出遅れたらこちらへ。今年行った時は開国橋の向こう側の芝生は花火が上がる直前でも場所が取れそうでした。でも有料席はカインズホーム方面にあるので、そちらの方が綺麗に見えるんでしょうね。

1枚目の写真を右に行くとカインズホーム、左に行くと開国橋です。ちなみに私は夜店を回りながら花火を見ました。

対岸の千葉へはフェリーで

久里浜海岸には、前述したカインズホームのとなりに金谷行きのフェリー乗り場があります。写真左がカインズホームと砂浜。ちょうどフェリーが着いていますね。

子どもの頃、マザー牧場へ行くのに何度か乗りました。私は乗り物酔いがひどいのですが、大きな船なので(車は100台乗れる)あまり揺れずホッとした記憶が。久里浜〜金谷間は40分ほど。料金は大人1人片道720円(2日間有効)、往復1,320円(7日間有効)。

フェリーの乗り降りだけでなく、日帰り温泉や新鮮な魚介を食べられる施設があるので遊びに行くだけでも楽しい。お土産も温泉の素や干物、カレー等たくさん売っています。

以上、久里浜海岸でした。海水浴ではなく、遊泳禁止です。海岸沿いの道路からフェリー乗り場まで食事ができる場所は海鮮料理屋や中華料理屋と何件もありますが、私のおすすめはカインズホーム向かいの「田島家」というラーメン屋さんです。また、カインズホーム内にはフードコートがあり、たこ焼きが美味しいです。

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